偽ツクール新聞 偽ツクール新聞アーカイブス

素材屋さんリンク集
素材屋さんリンク集はこちら。
ヤックルコラム
【コラム 第二十回】    (ヤックル 著)
 競争は互いの能力を高めるといいます。ライバルや高い技術を持った人に対抗して作品作りに挑戦すれば、自然と力はついていくでしょう。素晴らしいことです。そしていつかは、相手を追い抜くことができるのでしょうか。私はこの"追い抜く"という考え方に少し疑問を持つのです。
 創作物に優劣をつけることは大変難しいことです。特に、ゲームのような多くの要素が統合された作品では、様々な判断基準が重なり合って、良し悪しを一定のモノサシで測ることは無理に近いものと私は考えます。それでも、現在はWEB上でも雑誌上でもゲームのコンテストというものは盛んに行われています。順位をつける審査員は、熟練したゲームクリエイターであったり、ただ一人の管理者であったり、多数のプレイヤーによる投票であったりします。そしてクリエイターはこの結果に少なからず一喜一憂し、プレイヤーもこの結果をある程度評価することでしょう。
 絵画などのあらゆる芸術に、人それぞれの好みがあるように、そのゲームの良し悪しはプレイヤー一人一人の判断によるものだと私は思います。それと同時に、クリエイターは自分の作ったものに対して、自分が満足いくならばそれは良いものであり、そうでなければまだ努力できる、と考えることが大切だと考えます。まさに、ナンバーワンではなくオンリーワンであるという例えがあてはまるところです。
 ゲームはもはや、クリエイターが作り出す一つの世界です。自分の知名度や、他人によるランク付けよりもまず先に、自分がそのゲームを作り出すということに、確固たる信念を持つべきです。たとえ自分が無名でも、たとえ回りの人々や創作界の流れがどのようになっていようとも、自分の作りたいものを作り出そうとする力こそがクリエイターの力なのだと私は思います。

 今までのコラムが、良きクリエイター、良きプレイヤーへの一助となれば幸いです。ありがとうございました。<終>
【コラム 第十九回】    (ヤックル 著)
 絵は描けるけれどもシナリオは書けない。音楽なら作れるけれどもシステムは難しくて手がつかない。だからゲームは作らないで素材屋に特化しよう――こういうケースを最近よく見かける気がします。一人で素晴らしいゲームを製作する時には、絵や音楽、システムなど全ての分野を一人の手で作り出す必要があるのでしょうか。
 確かに、ゲーム作りでは総合的な能力が要求されます。しかし、その中で最も必要な能力は、各個の素材を作り出す能力ではなく、その素材をくみ上げる「構成力」です。映画で言えば「監督」の仕事に値する部分です。
 いくら良い画像、良い音楽を生み出せる技術力を持っていても、それを上手く扱い、ゲームを作り上げていくことができなければ、素材はその価値を欠いてしまいます。逆に、素材をくみ上げる力を十分に養っている人は、良い素材を手に入れさえすればなかなかの作品を作ることができるでしょう。最近は優良な素材をWEB上で配布する方が増えており、それらを利用するか、良い素材が見つからなければその方々と直接コンタクトを取ることによって、自分の思うとおりの素材を手に入れることができるようになっています。
 ゲーム製作者は、マルチクリエイターである必要はないのです。はっきりとしたビジョンを生むための「想像力」と、それを組上げる力を持つことが重要です。そして素材を見抜くための良い「目」、すなわちイメージを持つという意味での全方面のエキスパートであるのが望ましいでしょう。せっかくの個人が持っている構想を、自分では作ることができないからと理由で捨ててしまうのはもったいないことです。周りを少し見渡せば、きっとその素材の作り手を見つけ出すことができるでしょう。
【コラム 第十八回】    (ヤックル 著)
 洞窟を歩いていると宝箱を発見した!――しかし、この宝箱は誰が何のために設置したものなのでしょうか?そもそも箱に入っていることに意味はあるのでしょうか?それ以前に宝箱とは何?
 我々が生きていく上で、身の回りの社会に存在するものは全てそこにあるべくしてあるもので、何らかの意味があります。ゲーム内の、あらゆる人やものについてもそれを考えることができます。いわゆる「意味付け」です。洞窟の中の宝箱。曲がりくねった鍾乳洞に突如設置してある階段。モンスターはどこからきたのか。主人公はプレイヤーによって操られねばならない存在なのか。などなど、これらを考えてみることは重要なことです。洞窟に宝箱があって”当たり前”と思って製作を進めているプレイヤーも少なくはないと思われますが、それを突き詰めてそれが何故か?と一度考えてみてください。
 答えは見つかったでしょうか。見つからない場合もあると思います。しかし、それはそれで構わないと私は思います。ゲーム内の人やものについての意味付けを考えることは重要なことですが、全ての人やものにその存在の意味を事細かに定義することは絶対に必要か、というとそうではないのです。
 ゲームとは、製作者によって作られる仮想の世界空間です。それがよりプレイヤーに楽しんでもらえるように、不自然にも変なものが混じっていたとしても、それを「不自然だ」と思うかどうかはプレイヤーの判断に委ねられるのです。「設定」という意味で、ゲーム内のものや歴史など、意味付けを深く行っていくことはクリエイターにとってもプレイヤーにとってもなかなか興味深いものです。しかし、全てのものに無理矢理意味付けを行おうとして、理屈で仮想世界を塗り固めると、何やら世界観が殺風景になってしまうことがあり得るのです。意味付けも雰囲気もどちらも大切なものですが、どちらかを壊してしまうのはもったいないことです。
 今やゲームの中で”当たり前”となってしまった事柄は、長い間ゲームという媒体の中で万人に浸透してきたゲームの中での常識と言えるでしょう。それらの事柄を上手く利用し、自分の世界観の中の糧として世界を作り上げていけると良いと思います。クリエイターの方々は今一度、このことを踏まえて自分の作品を振り返ってみてはいかがでしょうか。
【コラム 第十七回】    (ヤックル 著)
 制作では様々な作業に時間を使います。その中で最も時間がかかると考えられるのが、試行錯誤とテストプレイです。
 試行錯誤とは、グラフィックや音楽の素材作り、システムの構築、シナリオの思案などにおいて、あれでもないこれでもないと取ったり付けたりしている状況です。非常に熟練したクリエイターで、作り上げたいもののビジョンが明確にある人は、迷うことなく着々とこれらを構成していくと思いますが、ほとんどの場合そうはいきません。自分が納得のいくまで、同じ場面で長い時間足止めを喰らうこともしばしばあります。しかしクリエイターとしての力をつけるためには、ここで妥協せずに十分な時間をかけることが重要です。いつしか、同じような場面が来た時には、より適確なものを短い時間で作り上げられるようになるでしょう。
 また、テストプレイも多くの時間を使います。RPGツクールでイベントを一つ作るたびに、ゲームを起動してテストプレイを行うこともあると思いますが、作業に慣れてきたならば、できればある程度マップやイベントをまとめて作り上げた後にテストプレイを行うのが良いかと思われます。大作であればあるほど、短いスパンでテストプレイを行っていては時間がいくらあっても足りなくなります。ただし、長い作業の後にテストプレイを行うこ場合には、不具合などが発生した際に必ずメモを取ることを心がけたほうが良いと思います。不具合が多数見つかった場合には一つ一つ確実に修正していくことが重要です。
 これ以外の作業、即ちデータベースの打ち込みやマップの構築などは、実際には全体から見るとそれほど時間を取られていないものです。少ない時間を有効に活用し、効率よく、且つ正確に製作を行っていけることが望ましいでしょう。
【コラム 第十六回】    (ヤックル 著)
 創作とは何なのかということを考えたことはありますか?
 様々な解釈があると思いますが、その一つとして自己表現の一種であると言えるでしょう。自分の考えるものを形にすることによってそれを他人に伝えることが出来るのです。逆に考えれば、伝える人間がいなければ創作というものは大きくその意味を欠いてしまうということです。また、自己表現の一種であるということは同時に自己主張であるとも言い換えられます。主張が多くあれば、それらはどこかでぶつかることになります。価値観や物事に対する考え方は人それぞれではありますが、誰もが自分が良いとしている所は他人も良いと思っていてもらいたいというのは当たり前のことかと思います。
 ネットワークの普及とともに、ツクールに関する多くのウェブサイトが作成され、様々な交流がなされました。ツクールの森は現在では閲覧者登録型のニュース機能を備えた著名なツクールポータルの一つです。あらゆる創作者が、自分の作品を公表できるのは素晴らしい機能であると思います。しかし創作物を伝える人は簡単に確保できるようになった反面、主張の対立も起こりやすくなったと言えます。個々人が一歩も譲らずただ自分の主張を繰り返しているだけでは、何の進展も無く交流の意味がありません。各人の主張をお互いが吟味しあうことで、より考えが深まるというものです。
 交流サイトを作りあげるのは管理人ではなく交流者自身です。創作者も、自分の作品をただ公表することだけでなく、周囲の雰囲気や他の創作者を見て、自分の作り上げるものについて常に考えておくことが必要です。創作者全体の考え方やモラルの向上が、よりよい交流サイトを作り上げていくのです。
【コラム 第十五回】    (ヤックル 著)
 完成へ近づく手法として、製作計画を立てるという方法があります。期限を設けなければ、作業はだらだらと先送りになってしまいがちです。とくにチームなどでの共同制作の場合は、予め計画を立てておかないと、大事なときにどうしても必要な人材が不足したりして企画の破綻につながりかねません。
 さて、「無理のないプランを」といった文句を最近よく耳にするようになりましたが、計画を立てるといっても達成不可能な計画を立てていてはあまり意味がありません。自分(もしくは製作チーム)の作業に当たることができる時間、技量、製作内容の難度などを検討しなければなりません。また、経験上計画は短いスパンで、達成すべき物事を決めておくのが良いように思えます。「半年で**を完成する」というような計画だと、最初の数ヶ月は何もしなかったり、どれから手をつけてよいか悩むことになります。十分な製作能力とゲームのビジョンを持っている作者の方ならば、数週間、より細かい人で数日単位での計画を練っておくと、製作がスムーズに進むと思われます。また、初めてゲーム製作に取り掛かる方でも、短いスパンで簡単な計画を立てておくと良いのではないでしょうか。
【コラム 第十四回】    (ヤックル 著)
 ゲーム作りにおいて最もオーソドックスでシンプルな目標として「作品の完成」があります。完成には構想から形成、テストプレイによるバランス取りとバグチェック等といった多くの作業が必要とされます。個人製作の場合でもチーム製作の場合でも、製作者にははっきりとしたビジョンと総合的なテクニックが要求されます。それほど作品の完成は製作者にとって大きな意味を持ち、製作に手をつけた人が達成せねばならないハードルと言えます。
 しかし、製作によって生計を立てているプロのクリエイターとは違い、趣味や愉しみとして製作を行っているアマチュアクリエイターにとっては、ここまでやらねばならないというボーダーは存在しません。どんな出来栄えの作品でも完成と位置付けることができる、いわば、妥協が許される状況にあるとも考えられます。最近は極端にプレイ時間が短いものや、明らかに中途半端な終わり方をしていると見て取れる作品もしばしば見かけます。
 アマチュアのフィールドにいる限り、ここまでの作品を作らねばならないという縛りも存在しませんし、プレイヤーがそれを製作者に押し付けることもできません。しかし、妥協せずに試行錯誤を重ね、自分の限界を突破しようとすることは製作に限らず重要なことです。自らが最初に持っている構想を、長い時間と多大な努力をかけて妥協をせずに表現し、作り上げられた作品は製作者にとっても達成感のあるものであると同時に、自然と素晴らしい作品になるものです。
 縛りが無いということは、一つの作品にどれだけ努力を重ね、時間をかけても良いということでもあります。常に自分の限界に挑戦し、より上を目指して製作することを心がけてみてはいかがでしょうか。
【コラム 第十三回】    (ヤックル 著)
 RPGツクールのキャラクターの目を見てみましょう。数ドットで表現されているものが多く、これは現実の人間のそれとはかなり違っています。しかし多くのプレイヤーはそれを"目"だと認識し、目がある部分をキャラクターの顔であると感じます。実際とは異なる表現でも、それをプレイヤーに上手く認知させる――これを「記号化」と呼びます。
 例えばRPGツクール2000等のRTPとして用意されている洞窟内の上り下りの階段。現実的に考えて自然に形成された曲がりくねった洞窟に、このようなガッチリとした階段は相応しくないのですが、プレイヤーに次の階への入り口であると認知させるには十分なものです。グラフィックだけでなく、セリフについても当てはまります。男性の「〜だぜ」や、女性の「〜わよ」といった口調は現実ではあまり使われないかもしれませんが、ゲーム内でキャラクターの性別や性格を伝えるためには欠かせないものです。
 最近の市販ゲームでは、髪の毛一本にも及ぶ繊細な表現が成されているものもありますが、リアルさを追求することだけが表現の極みとは言えません。時には現実に無いものをわざとゲーム内に取り入れることによって、現実をも超えるより強い印象をプレイヤーに与えることもできるのです。
【コラム 第十二回】    (ヤックル 著)
 男と女。それは切っても切れない間柄、などと言いますが、物語の引き立て役としても重要な存在です。異性への意識というのはプレイヤーの誰もが持っているものなので、プレイヤーの年齢やゲームのジャンルを問わずキャラクターをアピールする手助けとなると思います。恋愛をテーマにしたゲームではなおさらのこと、そうでないゲームでも男女関係というものは人間の一面を時にはドラマティックに、時にはダークに演出する良い材料であると言えます。
 しかし現実の恋愛が難しいように、それをゲームの中で表現することも一筋縄ではいきません。無理のない展開と雰囲気を作り出すには、いろいろな経験や技術が必要です。そのためには自らが恋愛を行ってみるのも良いですし、恋愛小説や他の人々の経験談を聞くのも良いかもしれません。著名なゲームを自らプレイしてみてどのような手法が取られているか分析してみるのも一つの手段です。たかがゲームといえども、その構成材料は現実を基に形作られるものです。恋愛だけでなく、身の回りに起こった出来事の一つ一つに気を配り、感性を磨いていくことが豊かな表現力につながってゆくでしょう。
【コラム 第十一回】    (ヤックル 著)
 最近ではネットワーク環境が幅広く普及し、インターネットを通じて自分の作った作品を配布することが主流となっています。ここで必要とされるのが、自分の作品を紹介(アピール)する能力です。
 作品完成後に発表を行っている作者もいると思いますが、多くの作者はホームページなどの自分の設けた公開の場で、製作中の作品の制作状況や作品紹介を行っているようです。そのほうが自分の作品の概要や雰囲気等を訪問者に知ってもらうことができ、またそれが作者自身の製作の状況整理や励みとなることもあるためでしょう。
 しかし、あまり事細かに紹介しすぎることは避けなければなりません。長すぎる紹介を見た訪問者はその複雑さに戸惑ってしまうかもしれませんし、あくまで本当に伝えたいことは作品を通して伝えるべきであって、様々なことを明らかにしてしまうと作品の面白みが減ってしまいかねないからです。いろいろな紹介方法があると思いますが、要所要所を押さえた簡潔でプレイヤーを惹きつけるものが良い一例ではないでしょうか。
【コラム 第十回】    (ヤックル 著)
 ゲーム中で戦闘は重要な役割を果たしています。とりわけ注目すべきは、プレイヤーが操る主人公が負けること、即ち「ゲームオーバー」が、主に戦闘によって引き起こされるということです。
 常に勝ちっぱなしではなく、負けがあるからこそギャンブルは楽しめると言われます。ゲームは、常にプレイヤーを満足させ続けずに、場合によっては失敗も生じさせることによってその魅力をいっそう高めているのです。
 しかし、プレイヤーが良しとするような勝ち負けのバランスがどのあたりにあるのか、ということには個人差があります。敵が弱すぎては、いわゆる「ぬるい」ゲームとなってしまいますし、強すぎて先に進めなければプレイヤーにストレスを感じさせることになりかねません。このあたりの判断は非常に難しいところですが、テストプレイを何度も行って、プレイヤーが適度な壁にあたっては、それを乗り越えられるようなものに仕上げるのが理想的です。最終的には、作者の判断によって決まる部分が多いので、この調整具合も作者の腕の見せ所と言えるでしょう。
【コラム 第九回】    (ヤックル 著)
 RPGなどにおいて、物語を作る上で大切なことはたくさんあります。基盤となる設定、話題の展開やエフェクトを使用した見せ場、そしてセリフや説明のわかりやすさなど。そのどれにも通じて一つキーワードになるのが、”人間”です。
 例え人類の全く出てこない物語であったとしても、その物語を生み出す作る側、そしてその物語を受け止めるプレイヤー側、どちらも我々人間です。よって、登場する人物の人間性(多様性)や、セリフなどのキャラクターらしさを押さえておくことは、物語の内容やテーマ(最も伝えたいこと)をしっかりとプレイヤーに印象付ける事に一役買ってくれることと思います。
 ではその人間をうまく扱う上でどのようなことに気をつければいいかというと、一つは物語の登場人物の立場にたってその視点で考えること、そしてもう一つは日頃から人間というものを深く観察してどんなことを思い、どのように行動しているかをしっかりと見ておくことです。このことは、物語を作ることだけでなく、社会で生きていく上でもきっと役立つことになると私は思います。
【コラム 第八回】    (ヤックル 著)
 ツクールといえば作り手のことが多く取り上げられていますが、創作者でないプレイヤーから見たツクール作品とはどのようなものなのでしょうか。
ツクール作品の最大の特長の一つとして、その手軽さがあると思います。市販のコンシューマーゲーム(テレビゲームや携帯ゲーム等)ほどのクオリティを出すことは難しいと言えども、無料でできる作品が多いことに加えて、ダウンロードしてクリック一つでプレイ可能である点はハードウェアには成せない手軽さを生み出しています。また、プログラム作品ほど自由度は無いとよく言及されるものの、ツクールという土台を使うことによって最低限の動作性やシステムが保証されることは、駆け出しの創作者にとっても、プレイヤーにとっても嬉しいことだと思います。
プログラム作品に対してツクール作品は名前で劣っているように感じられることもあるかもしれませんが、ツクールは非常に有用なツールであり知名度も高く多くの人に親しまれています。自分のつくろうとするものに自信を持って、ぜひ完成まで到達してください。
【コラム 第七回】    (ヤックル 著)
 ネットワークを介した共同制作や人間関係においては、現実と異なるものが多々あります。その中の一つとして、相手の年齢や性別などの情報がわからないという、いわゆる匿名性と呼ばれるものがあります。サークルなどのグループや、実際にオフライン(現場)で会合を開いていれば別ですが、浅い付き合いや素材提供のみといった関係では、相手の情報がわからない場合が多いと思います。
これによって起こるトラブルは、創作に限らずネットワーク上でのコミュニケーション課題の一つとなっています。ネットワーク上での言葉遣いや常識的な行動などの最低限のマナーは守るべきです。しかしながら、それ以前に私たちはネットワークを介して人や物を見るときには、”あらゆる年齢層や感性を持った人が存在する可能性がある”ということを常に頭においておくべきだと思います。ホームページやゲームなどの創作物の上では、各人の考えをある程度自由に表現することができます。そこから考え方の違いによって、自分にあわないと感じることがあるのは当たり前のことです。表現する側はマナーを守り相手のことを意識すること、そして受け取る側は柔軟な考え方を持って相手に接することが大切だと思います。
【コラム 第六回】    (ヤックル 著)
 ある人がゲームを完成させて、自分のホームページで公開したとしましょう。そのゲームはとても操作性が悪く、難易度も高く、理解に苦しむものであったとします。すると、プレイヤーから「もうちょっと何とかしてください!」という苦情が来ることがあるでしょう。しかし作者は、「自分の自己満足として作ったものだから、やりたくなければプレイしなくていいですよ」と返答したとします。この場合はどちらが悪いと言えるのでしょうか?
 プレイヤーはプレイするゲームを選択することができます。ダウンロードしたゲームが非常に面白くなかったとしても、作者に殴りかかってはいけません。しかしゲームを作るクリエイター側も、公開するからには多くの人に楽しんでもらえるようなゲームを作ることも目的の一つと言えるでしょう。プレイヤーから何らかの苦情が来た場合は、それを吟味し、今後の製作に役立てていけると良いと思います。またプレイヤー側も、ただ面白くない、という反応を返すのではなく、ここをこのようにしたら良いのではないか、という提案という形で作者に伝えてあげると理想的です。インターネットという場を上手に利用して、作者もプレイヤーもゲームというものをを楽しんでいきたいものです。
【コラム 第五回】    (ヤックル 著)
 ゲームをつくる目的というのは、作者それぞれ多種多様だと思います。みんなに自分のゲームをプレイしてもらいたい、自分のスキルを磨きたい、自分のゲームを売って生活の糧としたい、暇つぶし、などなど。どれも間違いではありません。もちろん、こういうスタイルで作らなければならない!と強制もされません。ゲームだけではなく、全ての創作物を生み出すことにおいて、私たちは自由なやり方と考え方で創作を行うことができます。
 しかしながら、スタイルの違いが多いほど、衝突が生まれやすいのも事実です。私たちは生きている中で、固定観念というものが少なからず形成されます。自分が正しいと信じてきたやり方が、他の人に否定されることもありえます。しかしそういう時は一歩立ち止まり、「なるほど、こういう意見もあるのか。私の考えと照らし合わせるとどうだろう?」と考える広い視野を持つことが大切です。正しい、間違っている、の言い合いだけでは話が進展しないということは、何も製作に限ったことではなく、人付き合い全般について言えることでしょう。また、小さな意見でもおざなりにせず、よく噛み締めて考えることが、物事の本質を見極める鍵となるように思えます。
【コラム 第四回】 2005/1/16 (ヤックル 著)
 RPGツクールを工夫して使うと、RPG以外のシステムを盛り込んだ作品も製作できます。RPGの中にいろいろな要素を組み込んだり、まったく別のジャンルのゲームを作るのも創作者の楽しみの一つと言えるでしょう。特にRPGツクールXPでは、スクリプト言語RGSSを用いることによって柔軟な表現が可能となっています。
 ところが、”他に無いもの””全く新しいもの”という考えのもとで製作を進めていくと、意外なところで落とし穴にはまってしまうことがあります。オリジナリティを追求するあまり、操作性や本来の創作の目的を忘れてしまう、といったようなことです。斬新な自作戦闘を作ったけれども、デフォルトの戦闘の10倍時間がかかってしまってゲームにならなかった、というような経験があるという方も少なくはないと思います。以前にも取り上げましたが、他のゲームに似てしまうことは決して恥じるべきことではありません。市販のゲームシステムは、何年間にも渡って質が高く人気のあったものがしぶとく生き残り、その多くが採用されているのが現状です。大げさですが、環境に適応できなかった動植物が絶滅し、適応できたものだけが生き残るという生存競争に当てはめて考えられるのかもしれません。
 自由度が増えるということは、それなりの構想を持った上で製作を行わないと迷路に迷い込んでしまうかもしれないというリスクを伴います。自分の作りたいものの明確なビジョンを持った上で、クリエイターもプレイヤーも楽しめるゲームを作っていきたいものです。
【コラム 第三回】 2004/12/18 (ヤックル 著)
 新しい携帯用ゲーム機が続々と発売されています。昔は異なるゲーム機が立て続けでリリースされることなど早々無く、ゲーム機業界の競争の激しさが伺えます。これに伴ってゲームの作り手側も、より斬新で多くの人々に受け入れられるものを作っていくことが重要になってくるのかもしれません。
創作物で競争することにはなかなか興味深いものがあります。ツクールにおけるゲーム開発でも、スタッフを有償で雇いシェアウェアとして作品を販売している方々もちらほらと見かけます。では創作者である私たちはどういう心がけで作品を作っていくのが良いかと問われると、それはそれぞれのクリエイターの自由であると思います。プロ意識を持ち、将来その関係の職業に就くことも考えて創作を行う人もいれば、一趣味として気軽に暇を見て作業をしている人もいます。どちらも、間違っているとは言えませんし、最近発売されたRPGツクールXPは販売・フリー作品両方を制作目的とすることが可能だということを一つの特徴として上げています。
ただ、チーム制作を行う場合このあたりの制作に対する理念が、思わぬところで衝突の引き金となりかねません。趣味を活かした仕事でお金を稼ぐのが良いとも言いますが、プロの意識を持つチームであれば、期限を守ったり周りの状況を把握したりすることは必要であると考えられます。気ままに創作する姿勢、きっちりと仕事として創作をこなす姿勢。その二つの境界をはっきりさせながら、周りとの連携を保っていきたいものです。
【コラム 第二回】 2004/12/06 (ヤックル 著)
 誰もが、初めて作ったゲームは他のゲームに似るものです。ゲームを自分の手で作り出してみようと思うきっかけが、自分もこんなゲームを作ってみたい、という憧れのゲームとの出会いであることが多いからではないでしょうか。そのようにして作られたゲームを「〜〜のパクリである」と一蹴されてしまうのは、初めてゲームを作り上げた人にとってはとても辛い世界であるかと思います。しかし、ネットワーク上で自由な意見が飛び交う今となっては、そういうことは珍しくありません。創作者は自分の作品を完成させたことを誇りに思って、次のステップへ進んで頂きたいと思います。
時代は進んで、市販のテレビゲームでは高いクオリティのものがいくつもリリースされるようになりました。もはや現実さながらの映像効果や、生のオーケストラを用いたBGMなど個々人の制作では手の届かない内容となってきているのも事実です。このような中から憧れのゲームを見つけても、自分でそれを作り上げるのは至難の業となってしまいます。かつてのファミリーコンピュータやスーパーファミコンの頃は、ツクールを用いてもがんばれば表現できるレベルのものも多数ありました。ただこれは、クオリティが上がったからといって全てが昔のゲームより優れているわけではないという点に気をつけたいと思います。ゲームシステムやシナリオの見せ方など、自分で作り上げられるもののなかで印象に残るものもたくさん見つけられるはずです。そういう点をうまく取り込んで、今の市販ゲームにも引けを取らないゲームを作ることができると良いですね。
【コラム 第一回】 2004/11/21 (ヤックル 著)
 昔と違って、今は素材という文字を頻繁に目にするようになりました。ウェブサイトでは1コンテンツとして成り立ち、ツクールに関するニュースサイトでもメインとして取り上げられる事は少なくないでしょう。7、8年前のネットワークがまだ一般家庭に普及していない時代では、画像にせよ音にせよ元々ツクールに付属しているものを使うか、さもなくば自分の手で作るしかなかったものです。しかし便利になった反面、悪影響も無いとは言い切れないのではないでしょうか。
キャベツをスーパーマーケットで購入し、そのまま皿の上に載せてテーブルの上に出す人はいません。キャベツも料理素材という立派な素材。サラダにするなり煮るなり炒め物にするなり色々と使い方はあります。キャベツを買って来てから料理を考えても、料理を考えてからその材料のキャベツを買って来てもどちらでも結構ですが、とにかくそのまま取って付けて並べるだけでは本来の用途を成さないことがあるということです。同じように高級な素材を集めても、作り手の工夫がなければその素材は活かされない。素材改変不可という条件を課す配布元もあるようですが、料理をするために加工してはいけないというのはなにか物悲しいものがないでしょうか。
手を伸ばせばすぐに手に入る素材ですが、工夫した使い方を考えながら作品に活かしていきたいものです。
論説委員・ヤックル
ありがちツクール注意報
【最終回】 馴染みの薄い言葉でのネーミング
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。
しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。
それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!今回は、馴染みの薄い言葉でのネーミングについて。
馴染みの薄い言葉でのネーミングとは、人名、国名、地名、システム名、何であれ、語源のない造語や適当な文字列などで名前をつけることです。最終回はこの手法の長所と注意点を考えてみましょう。
この手法の長所は、まず世界観を表現できることです。聞きなれない言葉は特に意識をひきつけるので、それがゲームの雰囲気に強く影響します。また、色々なゲームで登場するようなアイテム(例えばポーション)などにあえて特殊な名前をつけることで、他の作品と差別化できるのも大きなメリットです。
そしてこの手法の注意点は、言うまでも無く多用するとわかりづらくなることです。見知らぬ単語がいくつも出てくれば、プレイヤーの頭は混乱してしまいます。直感的にわかりづらい言葉が多いとストレスの原因になってしまうので、必要最低限の、局所的な使い方をしたほうが安全かつ効果的です。
……と、文章で見てもわかりづらいので、この手法を使っているツクール作品を紹介しておきます。
実際にプレイして参考にしてみてください。
「黒百合-Tragedy Malice-」(http://www12.wind.ne.jp/Fool/kuroyuri/top.htm)
6回に渡って連載したありがちツクール注意報もいよいよ今週で最終回ですが、ありがちな手法はまだまだ山ほどあります。最も大切なのは、注意報に従うことではなく、安易に使ってしまいがちな手法でも、一度立ち止まって効果を考えてみることです。そういう癖が誰か一人にでもつけば、ありがちツクール注意報は成功と言えますし、その人のゲームはきっと良い作品になるでしょう。楽しいゲームが作られることを楽しみにしています。(9)
【第5回】 キャラクターのネーミング
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。
しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。
それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。
長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!
今回は、キャラクターのネーミングについて。
キャラクターのネーミングでよくみかけるのが、英単語や、神話・昔話の登場人物名をもじっているものです。他にも、食べ物や音楽をもじっている作品もあります。今回はこの手法についてじっくり考えてみましょう。
この手法の面白い所は、全キャラ通して使うことでゲームの雰囲気を作れることです。一貫したテーマでネーミングをすると、ゲーム中に独特な空気が生まれますし、キャラクターの名前も愉快で覚えやすいものになります。うまく使えば、そのキャラクターの今後を暗示させることもできます。
しかし、この手法の致命的な欠陥が、安っぽくなりがちなことです。特に英 単語などから安易にひっぱってくると、滑稽なものになってしまいがちです。現実的な話で言うと、単語をもじって名前にするなんてよくある話ではありません。そのため、名前としても違和感の無いものにするよう気をつけなければいけません。
……と、文章で見てもわかりづらいので、最後に、このシステムを採用しているツクール作品を紹介しておきます。実際にプレイして参考にしてみてください。
「クミとクマ」(http://tanktown.web.infoseek.co.jp/tt/tt_top.htm)
第5回ありがちツクール注意報はいかがでしたか?
このコーナーが、ツクラーの皆さんの創作のお役に立てたら幸いです。それでは、また次回。(9)
【第4回】 キャラクターボイスを使うこと
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。
しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。
それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。
長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!今回は、キャラクターボイスを使うことについて。
キャラクターボイスを使うこととは、ゲームに登場するキャラクターの一部または全てのセリフに、本物の人間の声をあてることです。
フリーゲームではまだまだ下火ですが、市販などではかなり多く取り入れられてきている手法です。
第4回はこの手法の長所、注意点を考えてみましょう。
何と言ってもこの手法の長所は演出力を高められることです。
キャラクターボイスはプレイヤーの聴力に直接とどくので、
文字だけでは表現しきれないキャラクターの微妙な感情もスムーズに伝えることができます。
他にも、臨場感を生んだりキャラクターの個性を強めるのに大きく役立ちます。
しかし、この手法には諸刃の剣とも言うべき短所があります。
まず、声優の人選を誤ってしまうと、逆にキャラクターを殺してしまうことです。
キャラクターの見た目と性格と声に違和感があると、プレイヤーは物語に入り込みにくくなります。
これと同様に、使用タイミングも誤ってもと浮いた演出になり、これも違和感の原因となります。
したがって、慎重な人選と演出を心がけなければなりません。扱いが難しい手法だと言えるでしょう。
……と、文章で見てもわかりづらいので、最後に、このシステムを採用しているツクール作品を紹介しておきます。実際にプレイして参考にしてみてください。
「フリージア」(http://freejia.web.infoseek.co.jp/)
ありがちツクール注意報はまだまだ続きます!このコーナーが、ツクラーの皆さんの創作のお役に立てたら幸いです。それでは、また次回。(9)
【第3回】 ダッシュシステム
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。
しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。
それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。
長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!今回は、ダッシュシステムについて。
ダッシュシステムとは、その名の通り移動中にダッシュ(走る)ができる機能です。主人公の移動速度をプレイヤーの任意で速くできる、RPGで最もよく取り入れられているシステムの1つでしょう。第3回はこのシステムの長所と注意点を考えてみましょう。
このシステムの長所は快適な移動ができることです。この機能を使えば、目的地に早く到達することができますし、画面も早くスクロールするため、爽快感も生まれます。快適に移動できれば、プレイヤーは楽しく遊べるでしょう。
しかし、このダッシュに頼るあまりついつい起こりがちなのが、マップが不必要に大きくなってしまうことです。ダッシュに頼った広さにしてしまうと、逆にダッシュを使わない時の移動が煩わしくなってしまいます。歩いてもストレスを感じない程度の大きさにするに越したことはありません。かといって、マップを小さくするよう意識するあまり、入り組んだ狭いマップになってしまっては、今度はダッシュが使いにくくなってしまいます。不必要に広くなく、道がシンプルなマップデザインが重要になってきます。
……と、文章で見てもわかりづらいので、最後に、このシステムを採用しているツクール作品を紹介しておきます。実際にプレイして参考にしてみてください。
「風の色、鮮やかに」(http://members.jcom.home.ne.jp/cogwheel/)
3回目のありがちツクール注意報はいかがでしたか?このコーナーが、ツクラーの皆さんの創作のお役に立てたら幸いです。それでは、また次回。(9)
【第2回】 NPCに名前を設定すること
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。
しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。
それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!今回は、NPCに名前を設定することについて。
ここでいうNPCとは、主にストーリーに絡まない村人や町人、とにかく会話イベントの起こる全てのキャラクターを指します。NPCに名前を設定することとは、それら全てのNPCに固有名詞をつけて、メッセージウインド等に名前を表示する手法のことです。今回はこの手法の長所と注意点を考えてみましょう。
まず、この手法の長所は生活観を出すことができることです。凡庸であるべきNPCに名前が与えられることで、ごくわずかな個性が与えられ、名前を持つ彼らの発言が、生き生きとしたものになります。また、特定の地域あるいはゲーム全体で名前のつけ方を統一すると、独特な雰囲気を作り出すことも可能です。生活観や雰囲気が出ていると、プレイヤーはゲームの世界に引き込まれやすいです。
しかし、この手法にも、やっぱり注意しなければならないことがあります。上に書いたとおり、平凡であるべきNPCにちょっとした個性が加えられるため、下手をすると主役達のキャラクターが立ちにくくなってしまいます。NPCへの名前付けはほとんど雰囲気作りとして活用して、NPCの主張が激しくならないようにしましょう。
……と、文章で見てもわかりづらいので、最後に、この手法を採用しているツクール作品を紹介しておきます。
実際にプレイして参考にしてみてください。
「女神の涙TRUE」(http://angelsrest.cool.ne.jp/)(061228追記:移転されていました。移転先はhttp://alphanuts.jp/です。(おっかん))
今回のありがちツクール注意報はいかがでしたか?このコーナーが、ツクラーの皆さんの創作のお役に立てたら幸いです。それでは、また次回。 (9)
【第1回】 パーティメンバーと会話できるシステム    
 ゲームを作っていると、ついよくある手法を考えなしに使ってしまいがちです。しかし、一見どこでも使えそうな手法でも、実は意味と使いどころがあります。それらを間違えてしまっては、単なる蛇足にしかなりません。長所と注意点を考え、効果的な使い方をしましょう!今回は、パーティメンバーと会話できるシステムについて。
パーティメンバーと会話できるシステムとは、文字通りゲーム中に任意でパーティ内のメンバーと会話できるシステムです。次の目的地や周囲の状況を知ることができる、RPGではよく取り入れられているシステムです。第1回はこのシステムの長所と注意点を考えてみましょう。
まず、このシステムの長所ですが、言うまでもなく目的地を忘れて行き詰まるのを防ぐことです。このシステムが生まれたのも、そういった目的からでしょう。行き詰まらなければプレイヤーにストレスを与えることがなくなり、より長い時間自分のゲームを遊んでもらうことができます。さらに、パーティメンバーと親しくなる効果もあります。プログラムなのに親しくなるという表現は少しおかしいですが、冒険中の何気ない会話を通してそのキャラをよく知り、仲間意識を強めることができます。その結果プレイヤーは感情移入し、ゲームの世界にぐいぐい引き込まれていくでしょう。
しかしながら、この頼もしいシステムも、使い方を誤ってしまってはその効果を弱めるばかりか、逆にストレスの原因になってしまいます。例えば、会話を織り交ぜるのはいいのですが、あまり長いものになってしまうと、読むのが面倒になってしまいます。プレイヤーによっては、何度も読み返す人もいるので、そこも考慮して、簡潔でわかりやすい会話にするよう心がけましょう。
……と、文章で見てもわかりづらいので、最後に、このシステムを採用しているツクール作品を紹介しておきます。実際にプレイして参考にしてみてください。
「シルフェイド幻想譚」(http://www.silversecond.net/main/)
第1回ありがちツクール注意報、いかがでしたか?このコーナーが、ツクラーの皆さんの創作のお役に立てたら幸いです。それでは、また次回。 (9)
記者・9
管理人・おっかん